2016年旧満州のあった現在の中国東北部への7泊8日の弾丸旅行の全貌を公開しています

侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館が超現代的にリニューアルされていた

【侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館】
移動:ハルビン市街からタクシーで1時間以上
入館料:無料

七三一部隊の跡地でもある「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」は、事前に調べていたものと随分違いました。2015年にリニューアルされており、超近代的な建物でした。

事前情報ですと14時半までの入館だったのですが、現在は15時半までに入館すれば大丈夫のようです。入場料も無料になっていますがパスポートの提示は必要です。

ここで、平頂山惨案遺址記念館九・一八歴史博物館を思い出します。これらの施設も綺麗にリニューアルされていました。

※ここ数年で反日関連の施設に何かしらの大改革があったのでは、と推測してしまいます。現代の中国に都合に合わせたのか、バブルで景気が良いうちに建て替えたのかはわかりませんが、ここも近代美術館のようにリニューアルされていました。

侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館 入口

そして驚いたのが、入場する前の厳戒すぎる程の警備態勢です。空港さながらの探知機があり、ライターや飲み物は全て没収のようです。リュックにもう1本水が入っていたのですが、素通りできました。後で何か言われるのも嫌なので自己申告しましたが、あいかわらず厳しいのか緩いのかわかりません。おそらく見かけだけ「これだけやってるぞ!」感を出しているのだと思います。

陳列館へ入館

そして侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館へ入場すると、郊外にも関わらず多くの若い中国人が来館していました。

クオリティが高く、誰もが見やすいように「無料」という、反日施設のお馴染みのパターンです。新設×ハイクオリティ×無料=「中国が力を入れている」の法則です。

731部隊博物館

ここは、日本語表記がありませんでした。ただ写真やVTR、ハイクオリティのジオラマを見てれば嫌でも理解することはできました。

731陳列館内

聞いた話では、日本語ガイドを200元で付けることができるらしいです。しかしこの中国人だらけの圧倒的アウェイな状況で、残酷なシーンを事細かにガイド付きで説明されたくないので、日本語ガイドは探しませんでした。

731部隊陳列館 人体実験

ちょっと意味わからないくらいがちょうどいいくらいの内容です。動いているネズミが床一面のモニターに映っていたりもしていました。これでもリニューアル前の旧館と比べると表現が穏やかになっているそうです。

731部隊 証拠

とにかく、中国側が主張する歴史が延々と並べられておりました。細菌兵器や人体実験などの説明に加え、出来る限りの物証を並べています。

VTRでは日本人の証言が流れていたり、日本人でも七三一部隊の非道を証明しようとしている弁護士などは称賛されているようです。

深い知識のない私ですが、中国東北部をあちこち旅して実際に七三一部隊跡地まで足を踏み入れて、感じたままのレポートを書いてみました。

⇒ 「おそらくやっていただろう。」

七三一部隊跡地へ

陳列館の外へ出ると、日本軍が破壊し尽せなかった施設の残骸が残っています。

731部隊跡地 実験室

周囲が広場のようになっているため(現在もいろいろ発掘途中)、ゆったり散策できますが、どこか禍々しいオーラ出ています。

731部隊跡地 研究室

真実がどうであろうと、当時の雰囲気はビンビン伝わってきます。なんとなく研究員の働いていた姿もイメージ出来ました。写真では不気味な感じがすると思いますが、間違いなく不気味です。

最後に

ここに訪れている多くが中国人の若い方でした。そしてこの陳列館を見たら、日本のことが嫌いになってしまうだろうなと思うと切なくなりました。

私がハルビンで感じた反日も、こういう場所から生まれている可能性も少なからずあると思いました。

旅の終盤で、大変気持ちが重くなる観光スポットへ来てしまいましたが、ここも来たことは後悔していません。色々なことを学べましたし、普段では出てこない感情を味わうことが出来たからです。

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コメント

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  • コメント (2)

    • 大日本帝国人の後輩
    • 2018年 6月 07日

    こんにちは。
    行きたくても経済的都合で行けなくて、御紹介記事、ありがとうございます。

    大日本帝国軍は「防疫給水部隊」と呼んでいて、そこの部隊は200番台の部隊だったそうですが、東京裁判の時に731部隊とされたそうです。数字好きの中華人の事、8月1日の数字に合わせた可能性大ですね。大日本帝国内でも、数字や年号の事件や騒乱は、中華系か朝鮮系の命名です。

    石井中将が、財相の所にフラスコ持って押し掛け、「これに細菌が入っている。もし、防疫給水研究所を作らなければ、これをばら撒くぞ?」と、ばら撒かれる危険回避の為の研究所のいち早くの設置資金を要求し、設立に持ち込みました。
    ドイツの給水機を取り寄せて改良し、石井式給水機を開発し、昭和天皇に、これで尿も濾過できるからと実演後に飲んで頂こうとしたら御遠慮されたので、石井中将自身で嬉しそうに飲んで見せた、とのエピソードが残っています。
    大陸中華では、1921〜22年頃、四川省に生体研究所を欧米の支援で設立していました。
    大日本帝国の防疫給水部隊は「丸腰部隊」とも呼ばれ、物資不足が酷く出来るだけ軍隊に武器を送っていた為、代表者が銃一丁とか殆ど非武装に近い状態で、石井式給水機で濾過した安全な水を、水不足の部隊や中華人にまで配って歩きました。石井式濾過器は、素焼きの壺を使って濾過していました。

    記念館で展示されていたツヤピカと光り輝く立派な細菌爆弾は、第二次大戦後、中華内戦で大陸中華人同士で激しい細菌戦・化学薬品戦をやった時の物だそうです。真偽の程は不明ですが中華人によると大日本帝国軍の爆弾は素焼きだとの事。
    随分と昔から、大陸中華の作物の汚染が問題となっていましたが、その背景には、中華政府と軍で彼等の細菌戦や化学薬品戦が存在し、その事実を隠蔽し続ける事で、国民からの批難や攻撃を回避し続けようとした為の様です。
    大日本帝国の方で、「人体実験をやってないのに、日本のせいにされている」と言ってた方が居ました。

    防疫給水部隊は、予防注射・毒の中和・細菌の消毒等の研究の為、あの辺りで「ネズミ捕り」をやって集めては研究していたそうです。

    戦争末期、ソ連軍の急襲で、細菌やノミやダニ等の有害な物がが拡散しない様に、慌てて実験中のネズミなどを含む材料や器具を焼却して逃げたそうですが、逃げるのが間に合わずに捕まった人達も居たとか。

    中華人が提示した犠牲者名簿や資料には、日本人名が載って居たり、検体実験記録に馬の筋肉が載って居たりするとか。
    証言は日本破壊勢力や、当時の中華人からの恐喝脅迫で書かされり言わされた物も多々あります。
    大日本帝国の他の先輩のお話では「シベリア抑留犠牲者の中には、凍傷実験された人達も居たんだ…」との事。

    だからと言って、大日本帝国軍の犯罪が皆無だったという確定にはなりませんけれど、その様な事実が存在してた事も、全くの事実として伝承する必要があると思います。
    「中華内乱での細菌・化学薬品の大量使用」、それは抜かす事は出来ないキーポイントです。

      • manshu
      • 2018年 6月 11日

      大日本帝国人の後輩 様

      コメントありがとうございます。

      大変詳しく調べているようで感心いたします。私はこの件に関する情報はどれも特に信用していないのですが、大日本帝国人の後輩様のおっしゃるような説もあるということだけは受け止めておきます。

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